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横浜地方裁判所 昭和45年(ワ)1539号 判決

原告

新見英夫

右訴訟代理人

佐藤久弥

被告

中村博

右代表者

稲葉修

右両名訴訟代理人

真鍋薫

外四名

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一、請求の趣旨

(一)  被告らは連帯して原告に対し、金五〇〇万円とこれに対する昭和四五年一〇月七日から支払ずみまで、年五分の割合による金員を支払え。

(二)  訴訟費用は被告らの連帯負担とする。

(三)  仮執行宣言

二、請求の趣旨に対する答弁

(一)  主文一、二項と同旨

(二)  仮執行免脱宣言

第二  当事者の主張

一、請求原因

(一)  被告中村博は国立相模原病院に勤務し、内科に関する診療にあたつている医師である。

(二)  原告は昭和三七年一月四日、胃部の痛みのため、国立相模原病院で被告中村の診療を受けたところ、胃下垂との診断を得たのでその治療をはじめたが、その後、十二指腸潰瘍の疑いがあるから入院治療を受けるようにと勧められ、同年八月一五日、同病院に入院した。

(三)1  被告中村は昭和三七年一〇月一二日ごろ、胃腸部の激痛を訴えた原告に対し、従来毎日打つていた静脈注射と異なる筋肉注射をした。

2  右注射がなされた後、約一時間位経過して、原告は急に両足の先端から上脚部に向つて徐々にしびれを感じ、翌一三日には麻痺状態は腰部にまで及び遂に歩行困難になるほどになつた。

3  原告は、前記病院でマッサージ等の治療を受け、昭和三七年一二月二八日、右病院を退院した時にはようやく歩行できる程度になつたが、下肢部のしびれ感は残つており、右麻痺の治療のため、昭和三八年一月一四日、右病院に再入院して検査、治療を受けたが治癒せず、同年六月一三日退院した。

原告はさらに昭和三八年六月一七日再度前記相模原病院に入院し、同年一二月二日、退院した後も外来患者として治療を受けたが、麻痺は治癒されず、昭和四二年三月二五日以降は右病院への外来受診を中止し、訴外東芝林間病院や同虎の門共済病院などで治療を受けたが、いずれの病院でも病名も明かされず、確たる治療がなされないまま現在に至つている。

4  右原告の下半身の麻痺は右1記載の被告中村のなした注射によるものである。

5  被告中村には右注射をするにつき、注射の方法に不備があつたか、注射液の質又は量を誤つた過失がある。

(四)  仮にしからずとするも

1 被告中村は原告に対し、原告が前記病院に入院した昭和三七年八月一五日から、一日一グラムの割合でエマホルムを投与し、一〇月中旬までの約二ケ月間、これを連続して投与した。

2 原告は右投与が開始されてから約一ケ月位経過した九月中旬に、下肢部に冷感としびれを感ずるようになり、一〇月中旬にはその麻痺状態は腰部にまで及び遂に歩行も困難になつた。

3 原告は前記(三)3記載のとおり治療を受けたが下肢部の麻痺は治癒されないまま現在に到つている。

4 右原告の下半身の麻痺はスモン病の症状であり、その原因はキノホルム剤であるエマホルムの連続投与である。

5 被告中村には、キノホルムとスモン病の関係についての研究報告を入手して、キノホルム剤の投与は慎重になすべき注意義務があるのにこれを怠り、前記のとおりエマホルム(キノホルム剤)を約二ケ月間連続した過失がある。

(五)  右の被告の過失行為により、原告は次のとおり損害を蒙つた。

1 精神的損害 金二〇〇万円

昭和三七年一〇月一二日頃以降の下半身麻痺により、原告が蒙つた生活上の不便と精神的苦痛は莫大なものであり、これを金銭に評価すると少くとも二〇〇万円となる。

2 逸失利益

金三〇〇万円

原告は前記下半身麻痺状態のため、就職もできず徒食の生活をしており、そのための昭和四五年一〇月までの逸失利益は約三〇〇万円となる。

(六)  被告国は、被告中村が国立相模原病院において診療するにつき原告に加えた損害を、右中村の使用者として、同人と連帯して賠償する責任がある。

よつて原告は被告らに対し、不法行為に基づく損害賠償金五〇〇万円とこれに対する不法行為の日の後である昭和四五年一〇月七日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を連帯して支払うことを求める。

二、被告らの請求原因に対する答弁等

(一)  請求原因(一)は認める。

(二)  同(二)は認める。但し、初診時の診断名は胃カタルであつた。

(三)  同(三)1の事実のうち被告中村が昭和三七年一〇月一二日に注射したことは認める。

同(三)2は否否認する。

同(三)3は認める。但し、原告が昭和三八年一月一四日に再入院したのは麻痺のためだけでなく下痢をくりかえしていたため(診断名は神経炎)であり、同年六月一三日の退院時には知覚障害は依然残存していたが、運動障害は回復していた。

同(三)4、5は否認する。

(四)  同(四)の主張は原告の重大な過失により、時機におくれて提出した攻撃防禦方法であり、この主張を審理するとすれば訴訟の完結を遅延せしめること明白であるから却下を求める。

仮に却下されない場合には次のとおり認否する。

同(四)1、2は認める。

同(四)3は認める。但し、昭和三八年一月の再入院は麻痺のためではなく、同年六月の退院時には運動障害は回復していた。

同(四)4は否認する。原告の症状をもつてスモン病と断定することはできない。

仮にスモン病であるとしてもスモン病発症の原因がキノホルムであるとは断定できない。

仮にキノホルムが原因であつたとしても、原告は昭和三六年一〇月よりキノホルムを含有していた「キャベジン整腸薬」を常用していたのであり、被告中村の投与したエマホルムのみが原告のスモン病発症の原因とすることはできない。

同(四)5は否認する。

仮に右エマホルムが原告のスモン病発症の原因であつたとしても、キノホルムは一九〇〇年(明治三三年)ごろ、ドイツで合成されて以来、長い間、我国のみならず諸外国においても、その有用性を否定する程度の副作用を問題にされることもなく広く繁用されてきており、昭和四五年八月七日、キノホルム中毒説が発表されるまでは、本件結果の発生を予見することは不可能であつたから、被告中村には何ら過失はない。

(五)  同(五)、(六)は争う。

第三  当事者の提出し、援用した証拠及びこれに対する相手方の答弁〈略〉

理由

一被告中村博が国立相模原病院に医師として勤務していたこと、原告が昭和三七年一月四日、胃部の痛みのために右病院で右中村医師の診察を受け、その治療を始めたが、その後十二指腸潰瘍の疑いで同年八月一五日、右病院に入院したことは当事者間に争いがない。

二昭和三七年一〇月一二日ごろ、被告中村が右病院に入院していた原告に対し注射したことは当事者間に争いがなく、それが原告主張のような注射であつたことは被告において明らかに争わない。

三原告は右注射の結果、その注射後一時間位経過して急に、両足の先端から徐々にしびれを感じ、翌一三日には右麻痺が腰部に及び歩行困難となつたと主張するのでこの点につき判断する。

〈証拠〉によれば、昭和三七年一〇月一二日ごろに原告が胃痛を訴えており、また、下肢部のしびれを感じ、歩行するにつき障害がでてきていること(但し、右注射の一時間位後に、急に両足の先端からしびれが生じてきたと認めるに足りる証拠はない)が認められるが、右事実によつては未だ右注射が原因となつて原告の本件下半身麻痺が生じ生じたと認めることができず、他に右注射と麻痺との間の因果関係を認めるに足りる証拠はない。

かえつて、〈証拠〉によれば、右注射以前の昭和三七年九月一〇日ごろにも被告中村は原告に対し、筋肉注射をしたことがあること、原告は同年九月七日ごろから下肢部のしびれ感を訴えており、そのため、原告に対し、同月二五日から右しびれ感の治療の意味を含めて、アリナミンが同年一一月ごろまで毎朝注射されていることが認められ、右事実に照らすと、同年一〇月一二ごろの注射以前にはしびれ感はなく、注射後初めてしびれ感がでてきたとの原告本人の供述はにわかに措信できず、本件麻痺は右注射を原因とするものではないと認めるのが相当である。

四原告の予備的主張(スモン病であるとの主張)について、被告は時機におくれた攻撃方法であるとして却下を求めるので、この点につき考察するに、記録によれば、右予備的主張は相当口頭弁論期日を重ね、主位的主張につき証拠調をなした後に提出されたものであることは認められるが、右主張は、原告がその蒙つた損害(不法行為の結果)の発生の原因として主張する誤つた治療行為の具体的内容を新たに予備的に追加するものであり、原因たる治療行為の具体的内容を的確に主張することが困難であると考えられる本件の場合においては、原告の重大な過失により前記の時まで右攻撃方法を提出しなかつたと認めることはできず、時機におくれた攻撃方法として却下さるべきものではないと判断する。

五そこで原告の予備的主張につき判断する。

被告中村が、前記病院において原告が十二指腸潰瘍の疑いで入院した昭和三七年八月一五日から約二ケ月間連続して、原告に対し、一日一グラムの割合でエマホルム(キノホルム剤)を投与したこと、原告が同年九月中旬から下肢部に冷感としびれを感ずるようになり、同年一〇月中旬にはその麻痺状態は腰部に及び、遂に歩行も困難になつたことは当事者間に争いがない。

〈証拠〉によればいわゆるスモン病の必発症状としては腹痛、下痢が概ね先行して生じ、その後に両側性で、下半身ことに下肢末端において知覚障害が発現すること、その他症状としては下肢の深部知覚障害を呈し、下肢の筋力が低下し、下肢腱反射の亢進等を呈すること、キノホルムの使用量とスモン病発病率との間には明らかに相関関係がある(即ち、調査されたスモン病患者一一〇人のほぼ全員がキノホルムを一日一二〇〇ミリグラム以上、長期間使用していた、キノホルムを大量に服用した患者はスモン病症状が重い、某病院で数十人にキノホルムを大量投与したところ、患者はいずれも二、三週間後にスモン病特有のしびれ感等の神経症状を訴えた例がある)との報告がなされたこと、厚生省は昭和四五年九月八日、スモン病の発生に対し、キノホルムが何らかの原因となつている可能性があるとの中央薬事審議会の意見に基づきキノホルム含有製剤の販売を中止したこと、原告は昭和三七年八月一五日にエマホルムを投与されはじめてから三週間余り後である九月七日ごろから両側の下肢にしびれ感、倦怠感が出はじめ、同月七日、九日ないし一一日には腹痛もあつたこと、被告中村は同月一〇日、一一日にアリナミンを注射したがエマホルムの投与は継続したこと、同月一五日ごろからは下肢のしびれ感のほかに腰部の倦怠感、下肢の冷感も生じ、一〇月八日には歩行がやや不良になり、同月一二日には筋力低下、膝蓋腱反射がやや亢進、筋肉萎縮、歩行はよたよたしているという状態になつたこと、被告中村は同月一七日、エマホルムの投与を中止したことが認められる。

右認定事実と前記争いのない事実を総合すると、原告の下半身麻痺はキノホルム剤の投与以外の原因によるものではないかと疑うに足りる証拠のない本件においては、被告中村が昭和三七年八月一五日から約二ケ月間エマホルムを一日一グラム宛原告に対し連続的に投与したため、原告の下半身麻痺の症状(スモン病の症状)があらわれたと推認するのが相当である。(被告らは、キノホルムが原告の下半身麻痺の原因であつたとしても、原告は昭和三六年一〇月よりキノホルムを含有していたキャベジン整腸薬を常用していたから被告中村の投与したエマホルムのみが原告のスモン病の発症の原因ではないと主張し、成立に争いのない乙第一号証、原告、被告中村博の各本人尋問によれば、キャベジン整腸薬を飲んでいたことは認められるが、昭和三六年一〇月ごろからこれを常用していたとまでは認められず、右事実は前記推認を左右しない。)

六次に被告中村に過失があるかどうかにつき判断する。

〈証拠〉によれば、いわゆるスモン病の発生は昭和三四年、五年ごろから報告されはじめていたが、スモン病とキノホルムとの間の関係が最初に問題とされたのは昭和四五年六月末ごろのことであり、調査の結果、キノホルムの使用量とスモン病発病率との間に明らかに相関関係があるとの報告がなされたのは、同年八月六日であることが認められ、右事実によれば、被告がキノホルムとスモン病の相関関係についての研究報告を入手し得たのは、昭和四五年ごろであるから、原告が被告中村に対し、本件エマホルムの投与時(昭和三七年八月中旬から一〇月中旬)に右関係についての研究報告を入手してエマホルムに副作用があつて危険であることを認識し、その投与を慎重になすべきであつたとの注意義務違反を問うことは難きを強いるものであり、右投与当時に本件結果(原告の下半身麻痺)の発生を予見することはできなかつたものであるから、被告中村には原告主張の過失はないとみるのが相当である。

以上のとおりであるから、原告のその余の主張につき判断するまでもなく本訴請求はすべき理由がないから棄却すべく、訴訟費用の負担については民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(日野達蔵 吉岡浩 野崎惟子)

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